 河村 拓 / Taku Kawamura
河村 拓 / Taku Kawamura
1985年9月6日
taku850906★yahoo.co.jp
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ITコンサルタント(IT部門の業務改革、人材育成など)、セミナー講師
主な実績(2013年12月時点)
コンサルティング
・商社企業におけるIT戦略立案(2013年)
・畜産企業におけるIT人材キャリアパス/スキルマップ作成(2013年)
・IT企業における業務改革アセスメント(2013年)
 など
セミナー講師
・IT部門のヒアリング力育成セミナー(コンテンツ企画、開発、実施)
・IT部門の提案スキル育成セミナー(コンテンツ企画、開発、実施)
・IT部門の新人研修(実施)
 など
1.誕生
1985年9月6日、アメリカ合衆国カルフォルニア州に生まれる。アメリカのフロンティア・スピリットから取り、自分で道を切り拓く子になってほしいという両親の願いを受け、拓と名づけられる。1歳と半年で日本に帰国。
2.幼稚園~小学校1年生
社宅の閉鎖的な環境で育ったため、常に周りの目を気にしてビクビクしている子どもだった。小学校に入ると同じ社宅住まいの上級生グループにいじめられるようになる。鬼ごっこでひたすら鬼をやらされたり、ドッジボールで狙い撃ちされたりしては、メソメソ家に帰る毎日。ある日、悔しくて父親とドッジボールの練習をする。人生初めての努力。翌日、上級生グループにドッジボールで勝負を挑む。小6相手に勝つ。言葉に出来ない達成感。このとき、困難は自分で乗り越えられることを知る。
3.小学校1年生~小学校5年生
1年生の秋から、父親の仕事で再びアメリカ暮らしが始まる。飛行機を降り、高速で家に向かう途中、一面に広がる広い台地と緑に感動する。満面の笑み。2週間後、現地の学校に通い始める。言葉の通じない、わけのわからない世界に突然放り込まれる。顔面蒼白。しばらくは近所の同じ日本人の子どもとばかり遊んでいた。
小学校2年生の終わり、日常会話が出来るようになる。外国人の友達が出来始める。小学校3年生になり、弁当に和食を持っていく。おにぎりを見て、「何それ、気持ち悪い!」と叫ぶ外国人。しかしすぐに横から「日本の料理を食べて何が悪い、そんなのTakuの勝手だろ!」と別の外国人の声。このとき、人と異なることは悪いことではないということ、そして自分と異なるものを受け入れ、尊重することが大切であることを学ぶ。また、この頃からサッカーを始め、小学校を卒業するまで続けることになる。
小学校5年生、バスケットの国でバスケにはまる。休み時間は毎日バスケづけ。サッカーをやっていたこともあり、運動能力はあったため、すぐに上達する。ある日、もう一人の上手い少年とライバル関係に。こっちは5人、相手は10人というアンバランスな勢力図が出来上がる。毎日が試合という名の戦いの連続。レフェリーがいないこともあり、押すだの蹴るだの、服を引っ張るだのやりたい放題。飛び交う罵声。しかも5対10。超ムキになる。しかし、どんなに汚いプレーを受けても、自分は決して反則は犯さなかった。勝利の美学。ルールにのっとった正しいやり方で敵をねじ伏せるからかっこいいんだ。
小学校5年生の終わり、父親が転職し、自分も日本に帰る事に。いがみ合っていたライバルグループがわざわざお別れの言葉をかけに来る。「お前がいなくなって寂しいよ。元気でな!」固く握手する。アメリカでの4年半、全てが最高の思い出だった。いろいろ経験して強くなった。
4.小学校6年生~中学校
帰国。アメリカと違う日本の子どもたちの気質に戸惑う。空気を読めない。浮く。次第に馬鹿にされ始める。でももうメソメソしない。言い争いでは負けない。この頃から口だけは達者になる。さて、口で勝てないとわかると、今度は帰り道に石を投げてくる。家に帰るなり受話器を握り、石を投げてきた少年らの親に「お宅のお子さんどうなってるの?」と片っ端から電話。それを聞いていた母、隣で爆笑。翌日、「やあ、河村君、元気?」とおべっかを使われる。問題は自分で解決できるのだと知る。
中学校1年生。唯我独尊、話しかけられても、面倒だと平気でしかとする。あんまり思いやりのない子どもだった。でも英語が出来たのと、勉強がクラスで一番出来たのと、何かクールっぽいってことでそれなりに人気者。
クラスメートに障害者の子がいた。何かと馬鹿にされ、いじめられているのが気に入らない。「好きで障害を持って生まれたわけじゃないのに、それを馬鹿にするなんて卑怯者のすることだ」と主張。その後、障害者の子と仲良くなる。次第にみんなも障害者の子と仲良くなる。自分は推薦で学級委員になる。
中学校3年生。学校に不良グループが出来始める。授業中や試験中に教室に突然乗り込んできたりする。こういう連中も嫌いだし、ご機嫌をうかがってばかりで何もしない先生も嫌いになる。そもそも肝心の授業もろくなものじゃなく、塾任せなのが見え見え。教育に疑問を持つ。
この頃、将来何か大きいことをやりたいと思うようになっていた。世界征服が何故かテーマ。「どうしたら世界を征服できるかな?」と友達と話す毎日。そうだ、俺は教育で世界を征服しよう。まずは日本の教育だ。塾なんか行かなくても皆が勉強できる仕組みを作ってやろう。卒業作文に誓う。これからはしっかり勉強しないといけないと感じ、桐蔭学園に進学する。
5.高校
毎日が勉強。学校でみっちり勉強した後、電車で寝て、帰宅後も3時間勉強。そんな生活を2年半続けた。おかげで逆に大学受験前にはやることがなく、一日10時間の猛勉強を遂行する周りを尻目に遊ぶ。
当事、英語の偏差値は80近くあった。しかし、苦手な数学は最初45。公式を覚えたり、複素数を学んだりすることが、将来どう役立つのかわからなかった。しかしある日、数学は論理思考力を養い、考える力を身につけるためにあるのだと気づく。それから毎日、わからない問題は2日でも3日でも考えて自力で答えを導き出す練習をするようになる。偏差値は1年間で70にまであがった。考える力のすごさを知る。
しかし、次第に教育への興味は薄れていった。特にやりたいことがなくなる。家から近いのと、自由な風土に引かれて慶応大学総合政策学部を第一志望に。合格。
6.大学
あまり勉強せず。2年生のとき、父親にもらったビジネス書、『ザ・ビジョン』を読む。めちゃめちゃ面白い。自分のビジョンは何だろう?
アルバイトを始める。初めて自分で稼ぐお金。やりがいを感じ、毎日一生懸命働いた。しかし、仕事をサボっておしゃべりしている同僚がだんだん気になりだす。「何で同じ自給で俺だけがんばってるんだ?」ついに嫌気がさし、辞めようと考える。でも辞めるより、この職場の問題を自分が解決して見せたほうが面白そうだと気づく。その日から勝手に教育係。仕事をふって、出来てないところは指摘し、出来た部分は褒める毎日。どうやってサボるかを考えていたメンバーたちが、自主的に残業してでも今日の仕事を何とか終わらせようとするようになる。
ある日職場に変な子が入ってきた。何をやっても飲み込みが遅く、成長が感じられない。理解力がない。これはダメだと皆が見捨て始める。仕方なく、出来るようになるまで自分がとことん付き合うことに決める。やっぱり飲み込みは遅いけど、彼は一生懸命取り組むようになった。着実に成長し、ついに品出しのスピードに関しては自他共に認めるNo.1に。指示を出しても「わかりました・・・」としょぼくれていた顔が、「わかりました、任せてください!」とキラキラしていた。どんな人にも可能性が秘められていること、そして一人でもそれを信じて励ましてあげる人がいれば、人はがんばれることを学ぶ。
就職活動。ボトムアップで変化させていけるような会社がいいと思い、周りの反対を押し切り小さいベンチャー企業を第一志望に。人事から高く評価してもらえ、2月に内定取得、そのまま週1~3のペースで会社に通うことに。順風満帆で、有頂天、自信過剰気味で天狗になっていた。
しかしだんだんおかしいことに気づく。社員全員が本音で議論し、ビジョンや方針・システムを決める会社と聞いたが、本当に皆は本音で話しているのだろうか?笑顔の裏に影が見え隠れする。何かに怯え、自分の本心を隠し、誰かの意見に右へならへしている。次第に自分にもその圧力がかかり始めているのを感じ取る。「これ以上ここにいてはいけないのではないだろうか?」という考えが脳裏をよぎる。しかし「自分は正しい!」と反対を押し切って決めた内定先を簡単には辞められず、必死で自分を騙し続ける。しかし入社を控えた1月、ついに決定的な出来事が起こる。もう価値観が合わない。このままでは自分が自分でなくなるという恐怖。逃げるように内定を辞退する。自信はほとんど失っていた。
その後3ヶ月は無気力状態だった。何もやる気が起きない。あと一年大学に席を置いて就職活動をもう一度やろうと思ったが、単位は取得済みで大学の許可が下りなかった。高学歴のエリート気取りが一転フリーターに。初めての挫折。自分は間違っていたのか?
心配する父親に対して、ある日母親が一言いった。「この子がこんなことでダメになるわけがない。」もう一度がんばらなきゃいけないと考える。何かを変えようと思い、梅田望夫さんの『ウェブ時代をゆく』を読む。めちゃめちゃ面白い。「水をあびるように読書をすることで、自分の志向性が見えてくる」「ウェブは情報を預けると利子をつけて返してくれる銀行のようなもの」という言葉に強く影響を受ける。
7.大学卒業後〜現在
毎日読書をしてはブログにアウトプットするということを1年間続ける。今までで最も濃い1年間を過ごす。世界が広がり、志向性が見えてくる。自分のやりたいことがわかってくる。そしてそのためにはもっともっと勉強しなくてはいけないことに気づく。内定先での失敗がなければ、きっと気づけなかった。あの時自分の考えを曲げなかったことは、間違いではなかったのだ。次第にブログを通して交流が増え、仲間が出来始める。現在は某IT企業に就職し、営業職を経てITコンサルタントとして企業の問題解決を支援している。
自分の思ったように、悪く言えばわがまま・自分勝手に生きてきた。しかし、自分の内なる声に反するような、間違っていると感じるようなことは決してしなかったつもりである。これからも自分の内なる声を信じ、正しいと思ったことを貫き通す強さを持ち、大きな志を持って、そして本当に助けを必要としている人に手を差し伸べられる人でありたいと思う。
取得資格
・TOEIC 945点(2008/9/28)
・EXIN Cloud Computing Foundation
・ITIL V2
『Strengths Finder 2.0』診断結果
1.未来志向
2.最上志向
3.内省
4.目標志向
5.親密性
嗜好性
・好きな言葉 Follow your heart and intuition.
・好きな人 Steve Jobs、hide、DelPiero、Nedved
・趣味 読書、海外サッカー、ユベントス、イタリア、バスケ、映画観賞
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